1976年に父ジャンが開拓し、続いてミシェルが着手。年数を掛けブドウを植栽し、2014年からモノポールとして赤と白のワインをリリース。ジュラ紀後期の石灰が混ざった地層は5キロ先のコルトンの丘にも見られ、シャルドネに適した土壌と標高の高さから、できあがるワインにはミネラル感とフレッシュさが強く感じられる。
ミシェル・グロ ブルゴーニュ オート コート ド ニュイ フォンテーヌ サンマルタン ブラン 2021 【白】品種:シャルドネ 父ジャン・グロと開墾
旧ジャン・グロの正統的後継者 お値打ちのオート・コート・ド・ニュイ
ヴォーヌ・ロマネにおけるかつての大ドメーヌ、ジャン・グロは、96年に3人の子供への相続が完了。
リシュブールを妹のアンヌ・フランソワーズに譲る代わり、ジャン・グロの看板となるモノポール畑、ヴォーヌ・ロマネ1級クロ・デ・レア2.12haを継承したのが長男のミシェル・グロ。
また、ジャン・グロのラベルが消滅するはるか以前から、実質的にジャン・グロのワインを造っていたのもミシェル・グロである。
あらためてグロ家の家系について述べれば、ジャン・グロにはほかに3人の兄弟がおり、兄のギュスターヴと妹のコレットはグロ・フレール・エ・スールを創設。このふたりには子供がなかったため、ジャンの次男、つまりミシェルの弟であるベルナールが跡を継いだ。
ジャンの弟のフランソワはドメーヌ・フランソワ・グロを立ち上げ、娘のアンヌが成長するとドメーヌ・アンヌ・エ・フランソワ・グロに改名。95年以降、ドメーヌ・アンヌ・グロとして継承された。
ミシェルの妹、アンヌ・フランソワーズはポマールのフランソワ・パランに嫁ぎ、ジャン・グロの生前贈与が始まった1988年にドメーヌ・A-F・グロを創設。ワインを醸造しているのは夫のフランソワ・パランである。
このように現在、グロを名乗るドメーヌは全部で4つ存在する。
ドメーヌ・ミシェル・グロはヴォーヌ・ロマネ、ニュイ・サン・ジョルジュ、シャンボール・ミュジニーに畑を所有。特級畑としてはクロ・ヴージョの最上部に0.2haの区画を所有する。ただし、もっとも広い畑はブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイで、その面積は10haを超える。
これはジャン・グロとは別にミシェル・グロが若い時からコツコツと広げた区画である。
赤ワインの醸造は手摘みで収穫後、ブドウ畑の中で選果。3〜6人の摘み取り人に対しひとりの選果人をつける。
醸造所に運ばれたブドウは100%除梗。1996年以降、ドメーヌでは補糖を一切せず、万が一、熟度が足りない場合にはエントロピー・エヴァポレーターを用いて果汁を濃縮する。
自生酵母による万が一のトラブルを好まないミシェルは、培養酵母を用いてアルコール発酵。発酵の前半でルモンタージュ、後半はピジャージュによって抽出を行う。
ブルゴーニュ・ルージュとブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイの樽熟成は、最初の6ヶ月を大樽で行い、その後、1〜3年使用した小樽に移して12ヶ月続ける。村名以上は小樽で18ヶ月だが、新樽率はアペラシオンごとに異なり、村名で30〜40%、1級で50〜80%、特級のクロ・ヴージョで100%だ。
ミシェル・グロのワインは濃いめの色調をもち、果実味が前面に出て、オークの香ばしいフレーバーが豊かに香るタイプ。しかしながら、アペラシオンごとのテロワールはそのテクスチャーの中にきちんと表現され、ニュイは力強く、ヴォーヌは気品があり、シャンボールはシルキーである。
また生産量の多いオート・コートは、価格の割りに質が高く、ラインナップの中でもとくにお値打ちの1本といえよう。